歩道を埋め尽くす落ち葉

 勤め先の真ん前には甲州街道が走っている。その沿線に並び立つ銀杏が今まさに紅葉真っ盛りで、鮮やかな黄色が季節感をこれでもかと醸し出している。ただ、町の景観が盛り上がるのはいいとしても、毎朝出勤するとおびただしい量の落ち葉が歩道を埋め尽くしていて、これの処理に結構な労力を要する。腰痛もちには厳しい作業であり、非常に悩ましい。たまに役所に依頼された処理業者がトラックに乗って巡回してくることもあるが、彼らの作業は枯葉をかき集めるのではなく、大型のブロアーを使って、単に歩道から車道側へ吹き飛ばしているだけで、全く用をなさない。交通量の多い幹線道路だけに、三十分も経たないうちに再び落ち葉は歩道へと舞い戻ってくる。あんな作業にギャラを払っているのだから、税金の無駄遣い!なんて言われてしまうのだ。
我々市民は自腹を切ってごみ袋(大)を購入し、腰痛に耐えながらも毎日のように落ち葉拾いを行っている。吹き飛ばすことしか能のない業者を雇うくらいなら、そのギャラをごみ袋購入予算に回してもらい、沿線の市民へ支給する方が市民感情的にも得策だということを分かって欲しい。

 銀杏の木が丸裸になれば、冬が来る。
「今年も終わりか……」
ショールームから甲州街道を眺めつつ、こんなつぶやきを何度漏らしたことか。そしてこれから先、何度つぶやくのだろう。

ちょっとがっかり・西伊豆撮影旅

 いろいと考えたあげく、西伊豆の仁科に宿をとった。
 紅葉の様子が気になっていたし、先日手に入れたND1000を磯で使ってみたいこともあり、どうせやるなら腰を据えてカメラを向けてみたいと思ったのだ。それと伊豆への距離感の変化も大きく影響している。
 ZXR750を駆り、伊豆スカで無心になって飛ばしていた頃は、伊豆一周日帰りなんて荒業も平気でこなしたものだが、今では車でさえ走行距離が400km近くに及ぶと、腰を中心に大きな疲労を感じるようになった。
 苦痛をこらえながらでは楽しくないので、一泊二日というたっぷりとした時間を有効に使い、ゆとりある撮影行としたのだ。無理をせず、加齢に合わせるやり方は、今後のポイントになりそうだ。

 十一月二十三日(木)。自宅を五時に出発。調布から中央道にのる。本来なら東名高速だが、今月の二七日まで集中工事が行われていて、大井松田から先が通行止めになっていた。もっともこのコースなら山中湖へ寄り道ができるので、天候さえよければ富士山をいい角度から拝むことができる。
 道志みちから右折。いつものボート置き場に車を停めて畔へ出た。湖面には盛大な霧が立ち込め、幻想的である。身を切る寒さで震えがきたが、タムロンの手振れ補正は素晴らしい仕事を見せ、手持ちでもしっかりとテレ端まで使うことができた。これは威力といっていいレベルである。
 四季折々、朝夕と大きく変化する富士山と湖。近くに住んでいたら、チャンスを逃さずレンズを向けられるだろう。

 籠坂峠を下り、R246を目指して進んで行くと、いつの間にか新しい道に入りこんでしまい、進むべき方向がわからなくなった。カーナビで調べると、この新道はどうやら真西へ向かっているようだ。しばらく走ると見覚えのある景色が見えてきてほっとはしたが、ここ数年、伊豆も含めてやたらと新しい道を建設しているが、果たして本当に必要なのだろうか。伊豆の奥深い山々の景観がことごとく崩れていくようで、内心穏やかではいられない。

 デニーズ三島北店でしっかりと朝食をとった後は、湯ヶ島へ向けて出発。ウェザーニューズの紅葉情報によれば、出会い橋周辺が紅葉見ごろと出ていた。
 下田街道を大仁辺りまでくると、予想したとおり風が出てきた。しかもけっこうな強風だ。これもウェザーニューズよりの情報だが、今日明日の西伊豆は、終日8mの風が吹き荒れるとのこと。山間部での紅葉撮りには問題ないが、磯に近づくのは無理がありそうだ。ちょっとがっかり。
 瑞祥橋の脇に車を停め、目と鼻の先にある出会い橋へ近付いてみると、はっ、なんだよこれ……
 またまたがっかり。紅葉見ごろなんて全くの嘘っぱち。殆ど落葉していて、枝に残っている葉も荒れ果て画にならない。意気揚々として出かけたまではよかったが、対象が不発では、正直力が抜ける。気を取りなおして数キロ先の河津七滝へ行ってみたが、ここは輪をかけて酷かった。七滝の中でも、紅葉だったら初景滝付近がよいとサイトに記述があったが、そこへ至る前に引き返した。今春の桜撮りはジャストミートだっただけに、本当にがっかりだ。

「予約している木代ですけど、チェックインは何時ですか」
 磯に行っても強風だろうし、こうなったら早いとこ宿へ行って、温泉浸かって酒でもくらった方がよっぽどましだ。
「三時からです。お待ちしてます」

 河津温泉の下佐ヶ野を右折して山間の細い道に入る。何度も通ったところだが、ここはけっこう飛ばす車が多く気が抜けない。下りに入り幅員が広くなってくると、間もなく最初の交差点が見えてくる。右へ行けば宿のある西伊豆へ、左へ行けば下田市街から蓑掛岩のある南伊豆へ至る。ところがここへきて風が若干弱まってきたのだ。どうしたものか……
 うっしゃぁ!はるばる東京から来たんだ。左へ向けてハンドルを切った。

 下田駅前を通過、さらに南下して青野川を渡ると、明らかに風が弱まっている。ただ、弱くなったといっても、三脚撮影ができるかどうかは微妙なところ。トンネルを抜けると左側から南伊豆の明るい陽光が射してきた。
 蓑掛岩の撮影ポイントである大瀬漁港へ車を入れようとすると、これまで一度も見かけたことのない“関係者以外立ち入り禁止”の看板が立っている。周囲を見回すと人っ子一人いない。ちょっとだけという甘い気持ちに後押しされ、看板をスルー。車を停止させ、手際よく機材を準備。さっそく磯へ入り込んだ。三脚を立てD600を雲台に載せる。フォーカスから露出まで全てマニュアル設定である。ピントを合わせ、ND1000を取り付けるとシャッターを切った。ただ、状況はやはり厳しかった。突風が強く、とてもではないが長時間露光なんてできそうな状況でない。何枚か撮ってモニターするが、どれも芳しくない。半ば諦めたとき、

「あんた、看板見なかったの」
 びっくりして振り返ると、よく日に焼けた老人が立っていた。
「す、すみません。ちょっとだけって思って、、、」
「だめだよ、ここはコロナが完全に解決するまで部外者お断りにしたの」
「いや~~、もうしわけない、すぐに出ますので」
 いい歳をして、恥ずかしいことをしてしまった。紅葉から始まり何から何まで当てが外れ、少々自棄になっていたのかもしれない。地元の方の意図したことも考えずに暴走してしまい、大いに反省である。結局ここでは五枚しか撮れず、まともに映っていたのは一枚のみだった。
 それにしてもコロナ禍。伊豆半島南端の小さな町にも脅威を見せていたとは……

 漁港から今宵の宿までは、約30kmの道のりである。右へ左へと小刻みにハンドルを切る山間の単純な道が延々と続き、そのうち腰が悲鳴を上げだした。
 宿は仁科川河口にある【西伊豆ゆったりくつろげる旅館・由喜松】。朝食おにぎり付きで一泊税込み三千九百円と、かなりリーズナブルである。予約段階ではちょっと不安もあったが、チェックインを済ませ館内を見回すと、掃除は行き届いているし、こじんまりした四畳半の部屋は、必要最低限の備品もちゃんと用意され、当初は雨風凌げればなんて思っていたが、いやいやなかなかの好印象。私以外に単独男性が二人宿泊しているという。人心地ついたあとは、コンビニへ買い出し。その後は大好きな食堂“茶房ぱぴよん”で夕食だ。


 
 この晩はよく眠れた。五時半に目を覚まし、カーテンを開けると薄暗い中にも、松の木が強風に煽られているのがよくわかった。これでは今日も磯はOUT。まっ、温泉に入って羽を伸ばせただけでもよしとしなければ。帰りは寄り道なしと決め、朝食を済ませると早々に宿を出発した。
「お世話さま」
「どうもありがとうございます。またお願いします」
「女将さんのところもコロナで大変なんじゃないですか」
「それがね、コロナでもうちみたいな安宿はほとんど影響がないんですよ」
「へー、そうなんだ」
 由喜松のような素泊まり宿は、仕事関係の客が大半だそうで、泊まっていた単独男性2人も職人さんだ。この近くの現場に呼ばれて、他県からはるばる赴いたとのこと。しかもこの二人、今年に入って三度目らしい。

 さて、ストレートに帰るとしても、東名高速が使えないから、中央道周りかはたまた小田原厚木道路となる。できれば沼津にちょっと立ち寄りたかったが、時間がかかり過ぎるので今回はパス。国道から宇久須南を右折して、久々になる仁科峠を目指した。大まかな帰路は、仁科峠~西天城高原線~R136~R1~箱根~小田原厚木道路。
 これでもかというような急勾配の連続を、1200ccのPOLOがあえぎあえぎ登っていく。そのご褒美ではないが、牧場の家までくると、大海原と沿岸の町が見渡せる、まさにビッグビューが待っていた。惜しいことに快晴ではあったが、富士山方面には雲が出ていてその全貌は拝めなかった。一、二枚撮ろうと車から出ると、強烈な寒風が襲いかかり、たちまち鼻水が溢れてくる。

 しかしいい眺めだ。今回の撮影行一番といっていい。紅葉と長時間露光は楽しめなかったが、最後の最後でちょっとだけ気分が上向いた。
 ただ、一枚さえまともに撮れなかったことは過去にもなく、いいようのない悔いが残ってしまった。自然相手だからどうしようもないが、ショックのせいか、粘着質な疲労が二~三日まとわりついて、今でも写欲は下がったままだ。しかし、落ち込んでいても一カ月後には年中行事の年末撮影会がある。早々に頭を切り替え、新たなアイデアを練り直さなければ……

節目を捉える

 あとふた月もすると、新しい年を迎える。若い頃は年末が近づくと、<来年こそチャレンジの年にしよう!>などと、やたらに鼻息が荒くなることもあったが、今では、<また年を食っちまう…>とか、<この一年、なんにもやらなかったなぁ…>等々、悲しいほどネガティブな男になり果てている。
どうしたものか……
先ずはここ一~二年、全く仕事に身が入らない。仕事内容や職場環境がどうこうではなく、“飽きた”と表現するのが一番近い。ただ、よくも続いたもので、モト・ギャルソンでの仕事は今年で三十四年目になる。感心すると同時に、常々潮時だろうとも感じていた。

 二年ほど前に会社を辞めたK君と吉祥寺で飲んだ。会うのは退社以来なので、募る話は山ほどあった。
メカニックだったK君は、整備士学校を卒業すると、間を入れずにモト・ギャルソンへ入社したので、社会人としての様々な経験は全てうちの会社で得たものだ。その彼が開口一番、「モト・ギャルソンって、ほんと、特殊な会社だったんだね」と放った。
運ばれてきた生ビールを一気に半分ほどやると、頬を緩めながら話が始まった。
「仕事の段取りは全部自分で組めたし、上や周りからとやかくいわれることもない。今からすれば自由奔放な職場だったよな」
「そうだね。一般的な会社の職場では考えられない環境だよ。俺だってデニーズ辞めてうちへきた時、驚いたもん」
「でしょう。だから今の会社の厳しさに慣れるまで、マジに二年かかりましたよ」
「だろうな」
「もうストレスたまりまくりで、涙だって出てきたから」
「でもさ、それが普通ってもんよ。昔、Mさんもいってた。<うちの会社って、辞める人少ないでしょ、なぜだかわかります>って。答えはね、<社長が全く怒らないからですよ>だってさ」
「それ、わかる」

 結局K君は転職して多くの壁にぶち当たることになったが、この決断は間違ってなかったと断言。彼は人生の節目を真剣に捉え、行動を起こし、そして自分なりの道を見つけたのだ。ただ、日常からの決別は簡単なものではなく、勇気なくして成しえるものではない。高校時代の同級生が六十三歳で早期退職し、完全リタイヤでゴルフ三昧しているという話を聞いたときも、妙に心が揺れた。これも節目を捉えてより満足できる人生を掴もうとした勇気ある事例だと。