浮島海岸~雲見・撮影旅

今宵の宿は雲見温泉に取った。本来なら夕陽の撮影を浮島海岸で行うのだから、その近辺か、堂ヶ島または松崎辺りにすれば都合がいいのだが、朝食付き一泊税込4,000円というお手頃価格につられてしまったのだ。
初めて利用する温泉民宿『半右衛門』は、国道沿いに広い駐車場を有し、すぐに見つけることができた。車から降りて細い路地に入って行くと、右手に看板が突き出ていて、ちょうど女将さんと思しき女性が玄関回りの掃除中だった。

「予約してあった木代ですけど」
「はいはい、こちらへどうぞ」

通された部屋は玄関の真ん前である。しかも踏込みのない質素な和室だ。窓を開けると隣の家屋が壁となってやや薄暗い。「やっぱり4,000円か」が過ったが、なぜか無性に落ち着ける感じがする。なぜなら、独身時代に沼津で借りていた古いアパートに雰囲気が似ていたのだ。寝るだけの部屋だと考えれば必要十二分。むしろ一般的なビジネスホテルの圧迫感ある部屋より遥かに好ましい。
さっそく温泉を浴び、30分ほどの仮眠をとった。朝が早かったせいか、座布団を枕に横になると、瞬く間に寝入ってしまった。
目覚ましのアラーム音を消して起き上がると、疲れが大分取れている。熱いお茶を一杯飲むと、更に頭も覚醒してきた。

「それじゃちょっと出かけてきますね」

再びPOLOに乗り込むと、来た道を引返して、浮島海岸入口へ向かった。

波打ち際にある駐車場へ入れ、機材の準備にかかる。ここは<D600+SIGMA12-24>の超広角で狙うことにした。浮島海岸は景観にとても変化があり、撮影ポイントの宝庫と言ってもいいところ。今回のように波打ち際から夕陽を狙うならば、多くの奇岩がアクセントになってくれる左手方面が恰好だし、遠景狙いなら右手の燈明ケ崎遊歩道がおすすめだ。

大小の岩からなる海岸を慎重に歩を進める。不用意に歩けば足を挫くだろうし、大事なカメラを落としたらえらいことだ。6年前の年末撮影会でそれなりの下見をしていたので、大凡のポイントは頭に入っていたが、いざ決めようとすると、あっちもいいけどこっちもいいなと、優柔不断な性格が露見する。
やっと落ち着き、セッティングを始めようとしたら、三脚の先端のゴム、つまり石突がひとつ無くなっていることに気がついた。これがないとカーボンシャフトの先端に傷がつくし、下手すれば割れることだってあるだろう。
しかしこのゴロゴロ岩の海岸で落としたとなると、探し出すことは不可能だ。ここは諦めて準備を進めた。

陽が沈むまであと30分はかかりそうだが、既にセットが完了しているので、この場から離れるわけにはいかない。
何か作業でもしていればこれくらいの時間はあっという間に過ぎるが、ひたすら海を見つめるだけでは、なかなか時計の針は進まない。
岩に腰掛けたお尻が痛くなってきた頃、ようやく陽の落ちる気配が辺りを包み始めた。
手始めは絞りF22、シャッター速度1.3秒でスタート。背面モニターで見る限り、なかなかいい感じである。しかし今日は朝から厚い雲が垂れこめ、きれいな夕陽にお目にかかるには厳しい条件である。但、遥か沖合には光が降りているので、撮り方を工夫すればなんとか見られる写真になるだろう。
15分もすると急速に暗さが増してきた。シャッター速度をあまり下げたくないので、絞りをF16まで開けた。
するとその時。垂れ込んだ雲の合間に突如紅色の閃光が射し始めたのだ。それは瞬く間に周囲の雲に反射し、辺りの岩を赤く染めていったのだ。
チャンスとばかりに連続してシャッターを切った。しかしこ天体ショーも僅か1~2分間ほどの短いもので、再び雲が垂れ込み始めると、それまでより深い闇が降りてきたのだ。しかもウィンドブレーカーを羽織らないと、じっと座っていらないほど気温も下がってきた。
それにしても最後の最後でシャッターチャンスをものにできたのはラッキーであった。
気が付けば腹も減ってきた。そろそろ引き上げることとするか。

翌日は朝から青空の広がる打って変わっての晴天。またまたチャンス来たぞと、旅館から目と鼻の先にある烏帽子山を仰いだ。

「女将さん、朝飯前に登ってくるんで、ここ、鍵おいときますよ」
「きをつけて楽しんできてください」

山頂からの360度ビューをカメラに収めるのだから、ここでも<D600+SIGMA12-24>で狙うことにした。
駐車場へ出ると、きりっとした早朝6時の空気に包まれ身が引き締まる。寝起きの割には体も軽く、国道に出るスロープを速足で駆け上がった。

やたらにとんがっている烏帽子山の標高は162mある。どこから見ても弾頭のような形をしているので、恐ろしく急登であることは予想がつく。案の定、鳥居をくぐると目の前には急な石段が待っていた。一段一段の縦幅が狭いので安定が悪く、終始手摺を頼りにしなければならない。途中にある拝殿まで来ると既に背中は汗びっしょり。たまらず長袖シャツを脱ぎ腰に結んだ。
見回すと右脇にちょっと開けたところがあったので近づいてみると、垂直に切り立った崖を左に、遠く富士山が望めた。いかにも西伊豆らしい眺めだ。
この先もまだまだ石段は続くが、実はここからが佳境。先ずは石段の状態が更に悪くなる。長い間手が入ってないようで、割れ欠けが目立つのだ。もちろん引き続き手摺に頼らなければ安全は確保できない。しかもそんな石段をこの先428段もクリアしなければならない。
喘ぐ大腿筋を感じつつ黙々と歩を進め、最後の一段を踏み切ると、今度は本格的な山道へと変わった。山歩きが好きな方なら分かると思うが、烏帽子山は頂上直下からいきなり登っていくという感じなのだ。
そしてやっとの思いで本殿に到着しても、その先にある展望台へ立つには、梯子のような急な石段を上がりきらなければならない。
正直言って一般的な景勝地とは一線を画く特殊なところなので、行かれる方はこの点を確認の上望んでいただきたい。

「おおお!」

確かに疲れた。しかしこの絶景はちょっと踏ん張ってでも見る価値はあった。
丸みを帯びだ水平線。その迫力は南伊豆の石廊崎を超えるかもしれない。それと早朝という静寂に満ちたSituationが、あたかも景色を独り占めにしているような気分にさせてくれたのだ。

ひと汗かいた後の温泉は最高の一言に尽きる。
雲見温泉の泉質は塩化物泉なので、舐めるとしょっぱく、ダイレクトに塩を感じるが、上がった後は意外やさっぱりする。昨日到着の際、夜景撮影の後、そして早朝撮影の後と、何度となく楽しめるいい湯だ。
半右衛門の良さは温泉だけではない。この後いただいた朝食が素晴らしかった。
品と数はよくある旅館の朝食と変わらないが、どれをとっても極めて新鮮で、鯵のひらきなどは頭からかぶりついてもサクッといけて、生臭さはみじんもない。特産の岩海苔も風味満点。醤油をちょこっとたらして温泉卵と一緒にご飯へかければ、普段は小食な私もガンガンと食が進んでしまう。現に2度おかわりし、おひつは全て平らげた。

「そこにコーヒー淹れてあるから、飲んでくださいね」
「女将さん、これで4,000円は安すぎない?」

好天に恵まれ、久々に楽しめた撮影行だった。
今回も発見や勉強になったことがいくつかあって、また一歩前が開けたように思う。やはり全ては行動あってこその賜物なのだ。

「ありがとうございました」
「また使わせてもらいますよ」
「烏帽子山ですけど、今度撮るときは夜明け前をやってみてください」

バッテリー1個の劣化が進んでいて、ライブビューを使うと5分も持たない。72mmPLフィルターの色味が赤みを帯びるようになり寿命を確認。三脚の石突紛失等々と、装備の管理が悪いことがずいぶんと判明した。
東京も対象となったGoToキャンペーンを使えば一泊行もリーズナブルになり、撮影への窓口は大きく広がるだろう。
装備の確認をやり直して、もうすぐ訪れる紅葉の季節に備えたいものだ。

千本浜を歩く・撮影旅

17年も続けてきた夏の一泊一人旅。ところが今年はコロナ禍の影響で、東京から出ることがモラル的に憚れた。
しかし実際に出かけられないとなると、出かけたい欲求は果てしなく拡大する。そのうち世間の見方も徐々にこなれてくるだろうと、仕方なく8月は撮影行の計画作りに専念した。

待つこと9月の半ば。10月より東京もGoToキャンペーンの対象になるという政府の動向が流れ出た。このようなインフォメーションは人々の心を軟化させるものだ。これに乗じ、私もかねてからの計画通りに、西伊豆の雲見に宿をとり、撮影ポイントの絞り込みを始めた。

夕日の撮影は浮島海岸と決めていた。そもそも西伊豆は夕日のメッカであり、特に美しく見ることのできるのは春と秋の彼我の頃なのだ。よって9月29日一泊は良い頃合いだと期待は膨らむ。それと宿は雲見なので、この機会に温泉街の象徴でもある標高162mの烏帽子山に登り、山頂からの360度ビューをカメラに収める予定だ。
そしてもうひとつ。子供の頃に住んでいた沼津の千本浜界隈をじっくりと歩いてみること。思い出に浸りながら、昔と今の差異をしっかりと確認したいから。
沼津から実家のある武蔵野市に戻ってから早くも50年の月日が流れていた。まさに半世紀である。

釣竿を片手に家を出たら、子持川を渡って千本郷林を突き抜ける。更に目の前の堤防へ上がれば待っているのは大海原。そこから港方面へ進めば、馴染みの釣り場「赤堤防」が右手に見えてくる。いつものことだが、既に十数人の釣り人が糸を垂れている。
子供の頃、大好きな釣りに行くのに数えきれないほど通った道だ。

港公園の駐車場へPOLOを停め、<D600+SIGMA24-105>を肩にかけると、その馴染みの道を辿ってみた。
保育園の脇を抜け、文学の道を横断すると、すぐさま静けさに包まれた。千本浜に打ち寄せる波の音と、時たま通る車の走行音が唯一の音源だ。この界隈は当時から人通りが少なく、閑散とした印象が強かった。
千本郷林は比較的大きな屋敷が多く、もともとは富裕層の住むエリアだったようだ。今もある宿泊施設「沼津倶楽部」は、敷地内に国の有形文化財に登録される建造物を有し、ある意味千本郷林の文化レベルの象徴と言えるところで、この立ち位置は現在でも変わってないと思われる。

歩を進めていくと、その比較的大きな屋敷も含めて、立ち並ぶ住宅に人の気配が余り感じられない。つまり空き家が多いのだ。この状況を生んだ経緯は定かでないが、寂寂たるかつての街並みを目の当たりにすると、興隆の儚さがじんわりと伝わってくる。
釣り場も同様だった。
その昔、赤灯台が立つ堤防の付け根には、波打ち際に沿ってテトラポットが多数積まれていて、危険だとは分かっていても、友人達とタモ網を片手に、波しぶきを浴びながら小魚を採りに入り込んだものだ。そんな遊び場も現在は完全に埋め立てられてしまい、巨大な廃棄物置き場と化している。昔の面影の欠片も感じ取れないこの光景は、ちょっとばかり辛い。
因みに当時住んでいた東京電力の社宅は、とうの昔に取り壊され、今では月極めの駐車場へと変わり果てていた。
しかし唯一の救いもあった。中学校の時の通学路だった子持川沿いの道が健在だったこと。
改めて歩いてみると、次々に青春時代の出来事が思い出されてくるから嬉しくなる。それと社宅の近所にあった教会は、建物の一部を除いて昔のままの佇まいを見せてくれ、あまりの懐かしさに、中々その場から離れられなったほど。
そして千本松原公園まで来た時、公園入口の左脇にある空き地に目が停まった。その向こう側には彼岸花が群れなして咲いている。
実はこの空き地、小学校時代の親友だったT.Fの実家の跡地なのだ。実家といっても一般的な家屋ではなくて、両親が割烹寿司店を営んでいて、立派な店構えから察して羽振りの良い一家だったのだろう。T.Fはひとりっ子だったから随分と大事にされていて、服装ひとつを取っても、同級生の子たちとは一線をかく、小ざっぱりした品の良いものだけをいつも身に着けていた。
但、本人は遊びも勉強もやたらと大雑把で、見方を変えるとだらしない奴ともいえた。
しかし、根は優しい心の持ち主なのだ。

いつだったか、彼と二人で釣りに行った時、当時、自律神経失調症に苦しんでいた私は、たまに突如腹がねじれるように痛くなることがあった。その時も一応の釣果を上げたので、そろそろ帰ろうかと支度をしていると、急に冷や汗が出てきて目眩もするようになった。私の変化に気が付いたT.Fは、何度となく大丈夫かと気遣ってくれ、治らないようだったら家まで背負っていってやると力強く言ってくれたのだ。彼はがっしりした体つきをしていて、確か柔道もやっていた。よって痩せっぽちな私などおそらく軽々だったんだろう。
何れしてもその言葉がすごく有り難く感じ、一瞬、ウルっとした。
この空き地を見ていると、当時の情景が目の前に現れ、まるで昨日のことのように感じてしまった

ー あいつ、元気にしてるかな。

昼近くになるまで懐かしい街中を歩き回った後、西伊豆目指して再びPOLOを走らせた。

中年男は腹七分・健康維持の鉄則

先日、女房と境のヨーカ堂へ買い物に行ったとき、ちょうど昼時にかかったので、ランチにしようと入ったのが「紅虎餃子房」。屋号からも分かるが、ここは餃子が看板の中華料理店。女房は迷わず大餃子定食を注文したが、メニューを見ると回鍋肉がやけに美味そうに感じ、定食を注文した。
10分ほどで料理が運ばれてきたが、先ずはボリュームにびっくり。その名のとおりである大餃子は、大粒の餃子なのに6個も並んでいる。

「全部は無理っぽい」

ひとつもらった餃子を早速頬張ってみると、

「あちっ!」

ギンギンに熱い肉汁が口内を襲った。思わず涙目になったが、味は良かった。いなげやのお総菜売り場にあるものとは一味違う。引き続き甜麺醤の香りが食欲をそそる回鍋肉をいただくとこれもGoo。ご飯との相性ぴったりの味噌辛味は、何度食しても飽きがこないだろう。
ご飯が瞬く間になくなっていく。

「いるでしょ」

女房が茶碗の半分ほどのご飯を分けてくれた。

「餃子だけでおなか一杯になっちゃう」
「これ男性サイズだよ」

なんて話しをしていたら、テーブルひとつおいた、隣の隣へ料理が運ばれてきた。
どこかのテナントの若い女性スタッフ3人が、女房と同じに大餃子定食を注文していたらしい。彼女たちの ユニフォームから察して、エステシシャン、ネイリスト、指圧師、、、か、
いずれにしても、これほどの量の餃子を食べて仕事にさしつかえないのだろうか。指圧しながらゲップでもしたら、お客さんは卒倒だ。
そしてたまげたのは彼女たちの豪快な食べっぷり。お喋りは止まらないのに、ひとつ、またひとつとリズミカルに大餃子を平らげていくではないか。

「すごいね、あの子たち」
「若いんだよ」

生中一杯、小さいご飯茶碗に一杯半、大餃子ひとつ、それにメインの回鍋肉。これで腹パンパン。
味もよく、大満足のランチだったが、これしきの量しか入らなくなったと思うと、やはり歳を感じてしまう。
昔は“痩せの大食い”で、

「いいね、それだけ食べても太らないんだから」

と周囲から羨ましがられたものだ。
中年男は腹七分。健康維持の鉄則である。