




















桜の季節になると、南伊豆の青野川や松崎の那賀川の開花情報を確認しては意気揚々と出かけたものだ。ただ毎年のことなので、やや食傷気味になっていたのも事実。せっかく自由な毎日を過ごしているのだから、もう少し視野を広く持って桜を愛でてみようと、二泊三日の旅程で(四月七日~九日)、広島県は福山~尾道~広島を順に追ってみた。
歳は取っても一人旅のワクワクドキドキは変わらない。これまではたいがい車を利用してきたが、今回はけっこうな距離があったので、無難に新幹線をチョイス。この“新幹線に乗る”ってこともワクワクドキドキを倍増させた。乗車は実に38年ぶりなのだ。デニーズに勤めていた頃、本部での会議へ出向く際、新大阪~東京間を利用したのが最後。久々だったこともあり、その恐ろしいスピードには舌を巻いた。車窓を流れる景色を横目で追えば、旅客機の離陸時と見まがうほどである。翼があれば飛んでいきそうだ。
福山駅に降り立つと、駅前にそびえる福山城の石垣と咲き誇る桜が目に飛び込んだ。写欲のスイッチが入るには十分なインパクト。はやる気持ちをおさえ、まずは駅前のベンチに腰掛け、カメラの設定を確認。持参したのはα6500+SEL1670Z。安心万能の組み合わせだ。
福山城公園に入ると、あちこちで花見に興じる人たちがビニールシートを広げていた。風もそれほど強くなく、陽光は限りなく暖かさを降り注ぎ、絶好のお日和。時間に余裕があれば缶ビールで一息つきたいところだが、撮影後は駅の反対側に回り、ひとまず“ホテルトレンド福山駅前”へチェックイン。シャワーを浴びてから、「潮待ちの港」として江戸時代に栄えた町、“鞆の浦”へ向かった。
三十分ほどトモテツバスに揺られて到着した港町は、あたかもタイムスリップしたかのような街並みである。スナップ好きには堪らないシーンが多々ある穴場的なところだ。五時を回っていたので観光客もまばら、じっくりとレンズを向けることができた。瀬戸内の海はこの上なく穏やかだった。

翌朝、仕度をすませると、事前にwebで調べておいた、ホテルから徒歩三十秒の、とある喫茶店へ行ってみた。その名は“純喫茶ルナ”。出がけにフロントの男性に聞いてみると、
「角のお店ですよね? 昔からあって評判もいいですよ」
笑顔で薦めてくれた。
七時半開店でモーニング目当ての客が多いとのこと。入店すると、とてつもなく昭和チック。大昔、地元にあった喫茶店を彷彿とさせる。
「いらっしゃいませ」
色白でスタイルのいい、二十代半ばと思しきウェイトレスが水とおしぼりをはこんできた。
「こちらがモーニングメニューです」
「じゃ、ルナモーニングで」
ルナモーニングは1,250円とモーニングセットとしてはやや高いが、味が良く、満腹感を得られるボリュームが嬉しかった。コーヒーは深いコクがあって香り高く、朝のひと時を読書で楽しむ向きにはもってこい。今回持参した文庫本は、浅田次郎著の『天国までの百マイル』。
福山から山陽本線で尾道へ移動。しばしローカル線のゆったりした空間を楽しんだ。
尾道は港の町。駅の真ん前には海が広がるが、どこから眺めても河にしか見えない。そう、ここも鞆の浦と同じく、大小の島々が複雑に織りなす瀬戸内の海なのだ。
しばらく海岸通りを東へ進むが、目指す千光寺は山の上なので、頃合いを見て山陽本線の踏切を渡る。山頂まではどのルートを選ぼうと、すべて急な石段を上がって行くことになる。千光寺山の標高はおおよそ150mあり、まさに海っぺりからのスタートなので侮れない。
少し上っては振り向くを繰り返す。坂から見下ろす眺めは格別で、標高が増すにつれ、徐々にファインダーの端へ満開の桜が入り込むのが堪らない。そのたびに歩みを止め、アングルを決めてからシャッターを押すから、なかなか先へ進まない。
頂上展望台の手前に土産物屋があったので、みかんソフトクリームを舐めながら店先のベンチで休憩。多くの観光客で賑わっているが、ほとんどが外国人である。昨今のインバウンド急増は本当に驚きだ。
点在する島々と立派な橋、その手前にはいたるところに桜、桜、桜。展望台からの眺めは、春爛漫の一言に尽きる。

低山歩きの後は腹が減る。尾道に訪れたら穴子を食おうと決めていた。先ほど海岸通りを歩いてきたときに、穴子丼ののぼりを出しているよさげな鮨店をチェックしていたので、迷わず暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ! おひとりさまですか」
「はい」
「ではそちらのカウンターへどうぞ」
「穴子丼をお願いしたいのですが」
「かしこまりました!」
活気のある店だ。昼前だがすでに四組ほど入っている。
「お客さんはどちらからいらしたんか?」
お茶を持ってきた女将と思しきおばさんが話しかけてきた。
「東京です」
「東京もええところがいっぱいあるからねぇ」
目の前で刺身を切り出している板長はおばさんの旦那、その隣で小気味よく動き回っている板さんは若女将の旦那ってなところだろう。それにしてもこのおばさん、隠居してもいい年頃なのに、店に出るのが大好きなのがありありとわかる。先ほどから店員へ指図等々を連発しているところから、間違いなく大女将なのだろう。もちろん客に対してはいたってフレンドリーで、明るく感じのいいおばさんだ。
お茶をずるずるやっていると、三十歳前後と思しき外国人男性が入ってきた。カウンターへ案内されると彼、いきなりiPadを取り出し検索をし始めた。この店【鮨と魚料理 保広】のサイト内にあるメニューのページを開いて、なにを注文しようか思案しているのだ。後でわかったことだが、保広のサイトはすべてのページに英語表記の説明が載っていた。インバウンド対策ばっちりである。このアイデアは若女将?!
「ジャパニーズドリンクOK?」
おばさん、躊躇なく外人男性に聞いているが、彼、ちんぷんかんぷんのよう。それにしてもジャパニーズドリンクとはなに?
と思った束の間。若女将がしゃしゃり出て、なにやら説明し始めた。なんのこともない、ジャパニーズドリンクとはお茶のことだったのだ。おばさん、次は「Green tea」でおねがいしますよぉ。
穴子丼はとても美味しくいただけた。鰻と違ってあっさりした身だが、かみしめるほどに味わい深くなり、あっという間の完食である。
二泊三日の旅は、やや強行。
最終日はかねてから訪れたいと思っていた広島の原爆ドーム。ちょっと時間がかかるが、尾道からは山陽本線を利用した。ローカル線をのんびりと行くのもいいものだ。
広島へ到着すると、さすがに山陽の主要都市だけあって、これまでの福山、尾道とは別格の賑やかさ。しかも単に町の規模が大きいだけではなく、路面電車のプラットホーム等々が目に入れば、豊かな地方都市の色合いも感じ、思わず旅情が湧き立つ。
その路面電車に乗り込む。『立町』で下車すると、目と鼻の先に今宵の宿“ホテル山城屋”がある。チェックインを済まし、原爆ドームへ出発だ。
ホテルからはアーケード(広島本通商店街)を西端まで歩けば、そこが広島記念公園。川に沿って右手が原爆ドーム、橋を渡って左手へ進めば広島平和記念資料館がある。
どこを見渡しても観光客であふれかえっているが、そのほとんどが欧米人。まるでどこか海外の公園に来ているようだ。
初めて原爆ドームの前に立ち、無残にも破壊された様を見上げれば、物事のはかなさをしみじみと感じてしまう。米国は幾度となく行った原爆実験により、どれほどの威力があるかは十二分に理解していた。使えば人や町がどうなるかを…..
それをわかっていて、実際に広島と長崎に落とした事実はあまりにも重い。原爆資料館ものぞいてみたが、順路に従い進んで行き、最後の退出口手前の廊下まで来ると、たくさん設置されているベンチに、座る余地がないほど外国人が腰掛け、うなだれていた。日々これだけ大勢の外国人観光客が訪れ、そのほとんどの人たちが、原爆や戦争に対して少なからずの疑問と嫌悪を抱えて帰国すると思う。この繰り返しによって、少しづつでも反戦への力が増えていってくれれば幸いだ。