「木代くんはバイクの運転、自信ある?」
社長がいきなり聞いてきた。
「まあ、人並み以上はやれると思いますが」
「そうか。それならBをやってもらおうかな…」
ますますわからないことを言う。戸惑っていると、ニヤッとした社長は説明を始めた。
モト・ギャルソンのモットーは<遊べるバイク屋>。それを最も具現化しているイベントが、春と秋に開催される“ビッグツーリング”と称する大規模な一泊ツーリングだ。参加台数は七十~八十台にものぼるが、運転技量に合わせて五つのグループに振り分けることにより、すべての参加者が気持ちよくライディングを楽しめることを売りにしている。
グループの内訳は、オーバーナナハンの限定解除組がAグループ、250ccから400ccの走り好きはBグループ、Cグループは一般ツーリングで、Dグループは初心者並びにのんびり派、そしてEグループはオフローダーだ。
社長曰く、これほどの規模のツーリングイベントを行っているのはうちだけだそうで、最近になって評判を聞きつけた他のショップが真似し始めていると、にやけながら自慢していた。
「Bって、走り屋グループっぽいですね」
「そうね、レプリカが多いかな。先頭を走る時もその辺を考えてペースをつくるんだ」
「なんだかおもしろそうじゃないですか」
「誤解しないでな。あくまでもみんなが楽しめるレベルだから」
いいね、いいじゃない。つまりはガソリン代と有料道路代を会社もちで峠を楽しめるってことだ。
「それとね、会社挙げてのイベントなんで、下見はスタッフ全員で行くよ」
聞けば下見も本番と同様に一泊とするらしい。この力の入れようは本物。下見と本番で合計三日間も店を閉めることになり、売り上げにはそれなりに響くはず。大崎社長は太っ腹だ。そしてスタッフ達もこのイベントを心底楽しみにしているようだ。なぜなら開催日が近づくにつれ、スタッフ間の話題は圧倒的にビッグツーリング一色となるからだ。
「社長と組むとほんと大変だぜ。うしろのことなんかまるっきり考えてないから」
「いつものことじゃん」
「それよりさ、なんども行ってる伊豆なのに、下見の必要あんの」
「何回行っても道を覚えないやつが一人いるじゃない、ね」
「下見意味なし!」
「そういえば今回はムーバが一緒らしいぜ」
「へー、そうなの」
ムーバというのは、大崎社長がモト・ギャルソンと並行して経営するスクーバダイビングショップの屋号。さすが大崎社長、儲かりそうだと思うと、すぐにビジネスにしてしまう行動力が半端でない。店舗は吉祥寺店のすぐ近くにあり、同じく女子大通り沿いだ。店長は下山専務の息子である孝彦くんが務めている。
昨今徐々に人気を高めつつあるスクーバダイビング。そこにきて原田知世が主演する映画『彼女が水着にきがえたら』公開されると一気にブームの波が押し寄せた。この波はもちろんムーバにもやってきて、沖縄に支店を出すほどの活況に沸いていた。
「木代くん、ダイビングのライセンス取ったらどう。今なら社員特別価格だよ」
鼻息を感じるほど近づいてきた社長のニヤリ顔が恐ろしい。
「ダイビングですか~、あんまり興味ないですね」
「つれないこと言わないでよ。メカの海藤くん、柳井くん、それに営業の佐々さんも取るってよ」
「はぁ~、そうですか……じゃ、、、おつきあいしますか」
てなやり取りで、おおよそ一か月の間、貴重な休日はプールやら海やらで、お魚さんとお友達になる訓練に費やされることになった。
講習の流れは、座学、プール講習、海洋講習と進む。
ちなみに、湯河原にあるダイビングプールはやたらと水温が高く、これ温泉じゃないの?と疑うほどだった。何度か潜っているうちに湯あたりのような症状になり、ぐったり。翌週はダイビングプールの目の前に広がる琴ヶ浜でビーチエントリーの練習。ビーチエントリーとは海岸からそのまま海へと入っていく方法で、これに対しボートに乗って沖まで出て、そこから海へ飛び込むのがボートエントリー。重い機材を背負って波のある砂浜を沖へ向かって歩いていくのはけっこうな体力が必要だ。ただ、プールと違って海は水中に景色があったり魚がいたりとなかなか楽しい。
卒業がかかった最終練習は、まだまだ寒さ厳しい三月の西伊豆・大瀬崎で行われた。当日は風が強く、沖には白波が立つ初心者には厳しい環境。ウエットスーツで水温14℃は過酷である。雰囲気は練習を飛び越し限りなく訓練に近く、海から上がると全員の唇は紫色に変わっていた。
苦労の末ゲットしたライセンスは、BSAC(The British Sub Aqua Club)のノービス1ダイバー。
しかし、その後社員旅行でグアムに行った際、ダイビングスポットとして有名なブルーホールとバラクーダロックの二本を経験したのを最後に、二度と潜ることはなかった。
「春のビッグツーリングの宿泊先が決まりました」
閉店後、スタッフ全員が三鷹店に集まり、春のビッグツーリングの説明会が始まった。プレゼンは社長自らである。
「宿泊先は西伊豆の浮島海岸にあるサンセットリゾートで、ここはダイビングの拠点として有名なところです。目の前の海にはダイビングスポットがたくさんあるんで、今回のビッグツーリングはムーバと合同開催とし、ギャルソンのお客さんで希望者には体験ダイビングを楽しんでもらおうという特別企画にしました。よって帰路の引率にはダイビングチームを作りましたので、行きと帰りは若干引率メンバーの変更があります」
一瞬、スタッフたちがざわめく。
間髪をいれず吉祥寺店店長の今村くんが手を挙げた。
「じゃ、そのチーム担当はダイビングが終わるまで待ってなきゃならないってことですか」
不満の色がありありと顔に出ている。なんともわかりやすい奴だ。
「レクチャーや終わった後の着替えがあるから、出発はだいたい二時間遅れになるかな。だから帰路のコースは最短で直帰だね」
まだ不満顔である。
「ダイビングやる人の中にはベテランライダーもいるわけでしょ。そういうお客さんは現地解散でもいいと思うんですけど」
「そうだね、その考えもありだな。この件は一旦ペンディングにしよう」
モト・ギャルソン得意の“ペンディング”である。
続いて引率チームのメンバーが発表された。
Aチーム:江藤、松本、武井
Bチーム:今村、木代
Cチーム:海藤、西、大杉
Dチーム:大崎社長、矢倉、佐々
オフロードチーム:松田、吉本
ダイビングチーム(二日目):矢倉、松本、西
トラック:柳井、下山専務
というものだが、具体的に誰がどのような仕事をするかは今一つ不明。何しろ初めてのビッグツーリングだから。ただ、行先が伊豆ってのはラッキーだ。散々“詣”で走り込んでいたから、東伊豆の一部を除けば伊豆のほとんどの道は頭に入っている。それより大好きな伊豆スカイライン等々、ルートは俺好みに組めるってところがたまらない。
「ねえねえ、木代さんはどのグループ担当なの?」
ものすごい圧迫感である。目の前には人の壁と言って憚らない巨体がどんと構えている。大常連である獣医大アメフト部の高松くんが、友人を連れて遊びに来ているのだ。顔の幅と首の幅がおんなじで、二の腕は俺の太ももほどあろうか。更には背丈もある。こんな奴に思いっきりタックルされたら、交通事故と何ら変わらないダメージを被りそうだ。隣にいる友人とやらも似たようなものだったから、息苦しいったらありゃしない。高松くんの愛車はGSX-R1100と大型のリッターバイクだが、彼が跨るとGSX-R250にしか見えないところが笑える。
「Bグループ」
「おれ、いつもAなんだけどさ、木代さんの走りを見たいから、社長に言って今回はBにしてもらうよ」
ずいぶんとしゃらくさいことを言う。
「あはは、お手柔らかにね」
高松くんは社長や専務、そして総務の矢倉さん等々、創業時からのメンバーと親しかったので、彼らが勤務している三鷹店にはよく遊びに来ていた。そんなことで、入社早々から彼とは話をするようになり、いち早く気の合う常連さんになっていた。
獣医大アメフト部の“顔”のようは存在の彼は、バイクが欲しい新入部員を見つけると、その圧力?を使って半ば強引に連れてきて、すでに四~五台の成約を上げていた。モト・ギャルソンにとってはまさにオピニオンリーダー的な常連客なのだ。そんな彼もビッグツーリングをとても楽しみにしていて、やはり開催日が近づいてくるにつれ、話題はビッグツーリング一辺倒になっていた。
お客さんからスタッフまで、皆が楽しみにしているビッグツーリング。なんだか俺もワクワクしてきた。