「パパ、免許の更新のハガキきてるよ」
「もうきたんだ」
誕生日は十月なので、いつもなら七月あたりに届いていたような記憶がある。テーブルに置かれたそのハガキを手に取ると、
「なんだこれ、高齢者講習のお知らせだよ」
一瞬にして気持ちが萎えた。
還暦を迎えたときは、まだまだやれる!と、むしろ健康年配者の己を誇らしく思ったものだが、六十五歳になり“高齢者”と定義づけられたときには、ため息が出た。そうか、ついに高齢者の仲間入りかと、観念に近い気持ちに包まれた。この頃から高齢者というフレーズがやたらと耳につくようになった。そして今回の高齢者講習の通知。ヨイヨイに近づきつつある現実を畳み込まれるようで、なんともげんなりである。
とはいえ、これを受講しないと運転免許の更新ができない。写真撮影、登山等々、趣味を堪能する人生の最終章に車は欠かせないアイテムなので、渋々ながらも近所の武蔵境自動車教習所で講習の予約を取った。
六月十二日(水)十六時。二時間の内容でスタート。
講習は四人一組で行われ、八十歳と七十七歳の男性、そして七十四歳の女性と私である。
最初の一時間は座学と動体視力の検査で、座学は皆で聞くが、検査はひとりづつだから時間がかかった。結果はまあまあだったのでひと安心したが、この講習が始まる際に、改めて歳は取りたくないと思う一幕があり、気分は沈んでいた。
事務スタッフが八十歳男性に近づくと、
「それでは講習料七千円と免許証、そしてお知らせハガキをお願いします」
「えっ? なに、ハガキ??」
「はい」
「どんなやつ? 持ってきたかな、忘れちゃったかも」
「ハガキがないと……」
すると男性、いきなり持っていた小さなバックの中身をテーブルの上にぶちまけたのだ。
「ああ、これです」
「ははは、あとなんだっけ、いくらだっけ」
「七千円です」
高齢者講習の持参物は、お知らせハガキ、講習料七千円、免許証、筆記用具と、とりわけややこしいものはない。この男性、大丈夫だろうか。
次に、講習室へと案内された。
教官のTさんから流れの説明があり、まずは動体視力の検査から始まった。
「それじゃ最初は、佐藤さん!」
「はい」、「はい」
「あれ、佐藤さん二人いるの?」
「ははは、私、江藤でした」
んんん……
いずれも老人によくみられるリアクション。運転云々の前に、あと七~八年もすると私もこうなるのかと思うと暗澹となる。
全員検査が終わると次は実技。五十年ぶりとなる教習所コースでの教習車の運転だ。これは二人ペアで行われ、私は江藤さんと組んだ。
「ゆっくり行きましょう。所内は最高速度30Kmですよ」
と注意があったが、実際に走らせると、所内の30Kmは意外やスピード感がある。
「そこの19番を右折です。突き当りをまた右折」
スイスイと行きたいところだが、他の教習車がみなノロノロかつ台数が多いので、なかなか右折ができない。
「木代さん、停止線ではしっかり止まりましょうね。今のはずるずると前に出てましたよ」
どうしても普段の癖が出てしまう。
「9番のクランクへ入ったらそのまままっすぐ進んで、前輪を正面の縁石に当てたらストップ」
停止状態から縁石を乗り越え1m以内で停止させるテストだ。やればいとも簡単だが、高齢者になると、縁石を乗り越えたあと、素早くブレーキへ足を移動できないケースが多いとのことだ。ここで焦ってしまい、ブレーキとアクセルの踏み間違いをして事故に至るという最悪のケースも多々あるらしい。江藤さんと交代し同様の実技を終えると、再び講習室へ戻った。
「教習車は慣れてないからぎくしゃくしますよ」
「あ~、疲れた」
「自己流になってますね」
やや打ち解けてきた四人、教官が戻ってくるまで雑談に花が咲いた。
「はいどうも皆さんお疲れさまでした。それでは修了書をお渡ししますので、免許更新の際にはお忘れなく持参ください」
これで終わりと思いきや、最後に免許更新の改定についての説明があった。
高齢者の運転能力不足が起因する交通事故が多発している現況を考慮した法改定である。特に後期高齢者、つまり七十五歳以上の運転者が免許更新を行う際、ずいぶんと煩雑な段階を踏まなければならなくなったのだ。高齢者講習の前に“認知機能検査”を受ける必要があり、認知症の恐れありと判定されると、医者の診断へと進む。ここで認知症と診断されれば免許は取り消しとなる。更にややこしいのは、ある指定された項目の違反歴があると、高齢者講習の前に“運転技能検査”を行わなけれなならず、合格しないと前へ進めない。検査は何回でも受けられるが、免許更新期間満了日までに合格しなければ更新不可となる。
もっともだとは理解するが、同時に対象となる日は意外や近しと、胸の内は複雑である。