今年の夏は暑いと言われつつも、昨今では朝夕がだいぶ楽になり、秋の訪れを感じるようになった。ところが面白いもので、夏が終わると思うと、遠のく連日の猛暑が何とも愛おしく思えてきて、夏の残り香を楽しむならば今しかないと、妙にそわそわし始めたのだ。
あんた、おかしいんじゃないの?と言われそうだが、心の内は、猛暑の真っただ中へ身をおき、荒い息を吐きつつ大汗をかきながら山中を闊歩したいと叫んでいるのだ。
計画したルートは、JR青梅線の古里駅を下車、まずは吉野街道沿いにある丹三郎登山口から大塚山山頂を目指す。富士峰公園を経て日の出山方面へ向かい、途中から金比羅尾根方面へと下る。金比羅尾根に入ったらJR五日市線の終点、そう、ゴールである武蔵五日市駅へ向かってひたすら歩き続けるというもの。
山行をヤマレコの登山計画アプリで作成してみたら、歩行距離16.3Km、歩行時間七時間四十四分と、これまでの日帰り登山では最長クラスを示した。このロングディスタンスを猛暑下で決行するのであるから、当初の意味合いは十分満たすはず。もっともこのルートは、最初の大塚山までは登りの連続になるが、その後は若干のアップダウンはあっても、基本は長い下りであり、前半の登りをいかに消耗を少なくするかで、勝負は決まる。
八月三十日(水)午前八時。古里駅駅前のセブンイレブンで食料と水を購入。自宅から二本の水筒に1.5Lの水は用意してきたが、これでは心もとないので、更に500ml一本を追加したのだ。
天気は若干の雲はあるものの、おおむね快晴。登山口までは大型ダンプがひっきりなしに走る炎天下の幹線国道歩き。到着するとすでに背中は汗でぐっしょり。ここから大塚山山頂までは殆ど平地はなく、当然体力的にはきつく、体は上限なく水を要求してくるだろう。よって効率的な水分補給は欠かせない。のどの渇きに関わらず、“十分毎に一口”を徹底した。もちろん、歩幅は小さく、ゆっくりと足を出すことも肝に銘じた。
森は夏枯れの様相だった。花はあまり見られず、やや無味な景観が続いたが、頂上手前辺りから多くのキノコが目につき始める。しかも色々な種類が顔を出していて賑やかだ。大塚山は幾度となく歩いてきたが、これほどの量のキノコを見たのは初めて。
頂上に到着。最初の休憩をとった。
今回はよほど体調がいいのだろう、汗をかきかき急坂を登ってきた割には、普通に空腹を覚えた。食欲は大汗をかきすぎると落ちることがままあるが、水をがぶ飲みせず、計画的に適量を補給してきた効用の現れかもしれない。
カレーメシを頬張っていると、御岳山側から年配夫婦が上がってきた。
「こんにちは。ここは静かですね」
話を聞くと、以前は夫婦で頻繁に山歩きをしていたが、ずいぶんと間が空いてしまい、健康維持をかねて再開したとのこと。この後は奥さんのリクエストでロックガーデンまで足を延ばすようだ。
こんな暑い日でも御岳山界隈にはそこそこの観光客を目にする。青梅線でも多数の乗客が、御岳山ケーブルカー駅行きのバス停がある御嶽駅で下車するので、その後の車内はひっそりとする。
参道を抜け、日の出山方面へ折れると、とたんに人影が途絶えた。春や秋のベストシーズンだったら、平日でも多くのハイカーで溢れる尾根道だ。この先、金比羅尾根への分岐までにすれ違った人は年配女性一人のみ。
金比羅尾根を順調に進み、麻生山への分岐まで来ると、さすがに疲れが出始めた。よく歩くアタゴ尾根方面だったらちょうど梅野木峠あたりだろう。体が後半戦を前にしてやや長い休憩を欲しているのだ。塩にぎりと菓子パンをゆっくりと咀嚼する。十分近く丸太の上に腰掛けていたせいか、若干だが活力が戻ってきた。
金比羅尾根は全線において山道の整備が行き届いており、歩きやすさは格別だ。今回のルートは距離こそ長くても、道のコンディションがいいので、足腰へのダメージが少なく思ったより疲れが蓄積しない。それと今回も関節に優しい歩き方を終始徹底していた。外股も内股も膝関節や股関節に負荷がかかりやすく、骨盤面に対して直角、つまり足首から先も含めてまっすぐ脚を出すことにより、特に前後にしか摺動しない膝関節の負荷は大幅に軽減できるのだ。
―おっ、またキノコだ。
“奥多摩はキノコの季節”とでもいうのか、タルクボ峰まで下ってくると、またまたあちらこちらでニョキニョキである。キノコ関連には全く明るくないので、毒の有無はおろか、名称さえもわからないが、詳しい人なら家族の夕飯に供するほど収穫できただろう。
金比羅山が近づいてくると、標高がだいぶ落ちるので、気温がぐっと上昇する。疲れた体にこれはきつい。それでも眼下に五日市の町並みがちらりほらりと見えてくると安堵感が広がった。
金比羅公園の展望台で最後の休憩を取ったが、昆布のおにぎりと残りの菓子パンを平らげ、早めに出発した。坂を下れば後は武蔵五日市駅まで住宅街を歩くだけである。
「今日の山歩きは大変でしょ」
庭先で車を磨いていたご主人から声がかかった。
「いやいや、山中はまだ涼しかったですが、ここまで下りてくると暑さにやられそうですよ」
「ははは、気をつけて」
事実、直射日光とアスファルトの照り返しで、一旦は引いていた汗が再び噴き出してきた。おもわず道路脇にあった自販機でペプシコーラのロング缶を買い、一気に喉へと流し込む。
「うんめぇ~~~!」
思わず声が出てしまう。この冷たさと甘さは、大袈裟ではなく、救いだ。
日陰でたたずみ半分ほど飲み干すと、気分も落ち着いてきた。
―さあっ、ひとふんばり!
ザックにしまってあった帽子をとりだすと、駅を目指して再び歩き出す。