雁ヶ腹摺山・姥子山

 秀麗富嶽十二景を巡る山旅は、今回で三回目になる。
 一回目は七番山頂・百蔵山と六番山頂・扇山。二回目は十一番山頂の高川山。そして今回は、真木小金沢林道の冬期閉鎖を確認せず、登山口を目前にして引き返すしかなかった、一番山頂である雁ヶ腹摺山ならびに姥子山のリベンジ登山だ。
 その引き返した地点から更に7.8Km進んだところにあるのが大峠。駐車場は十台ほど入るスペースがあるはずだったので、GWも終わった平日ならまさか満車はないだろうと向かったが、到着してみれば空きは一台分。ラッキーと言えばラッキーだが、想像を超える人気にびっくりである。

 五月十日(水)、七時四十二分。POLOから降りると、雲一つない青空の下、富士山がその雄姿を見せてくれた。単に富士山を愛でたいのであれば、わざわざ山へ登らなくとも、車で容易にアクセスできる、ここ大峠駐車場で十分だ。
 ブーツの紐を締めなおし、YAMAPをセットすると、道路右手にある雁ヶ腹摺山方面登山口へと向かった。

 森に分け入ると、それまでの十二景とは異なる空気感に包まれる。
 周囲は杉の樹林帯のような作られた森ではなく、小さな渓流もある原生林だ。しかも岩と苔がうまい具合に配置され、どこに目をやっても自然の造形美を十分に味わえる。だから歩いていても単調にはならず、大腿筋がきしんでもテンションは上がる一方だ。

 鎖場もある急登が暫し続き、息を整えながら慎重に登っていくと、突如坂が終わり、叢が広がった。そこから少し進んだところが雁ヶ腹摺山の山頂である。旧五百円札に印刷されている富士山は、この山頂から撮影されたものだそうだ。
 腰かけるにはちょうどいい岩がごろごろしているので、小休止にした。それにしても大峠の駐車場にあれだけ多くの車が停まっていたのに、これまでの山道にもこの山頂にも誰一人として見かけない。みんなどこへ行ったのか……
 カロリーメイトをワンブロックと水分を補給。左へ分ける山道を行けば、次の目的地である姥子山に至る。

 雁ヶ腹摺山の東側斜面を下っていくと、ここもきれいな森が続いた。それを飾るように、白や黄色の小さな花が至る所に開花していて、まさに初夏の歌声が聞こえそうである。
 巨大な巌が乱立する一帯を過ぎたころ、とレポを使ってゆっくりと上がてくる、本日初のハイカーが目に入った。上下黒づくめの四十代手前と思しき男性だ。
「こんにちは。今日はいい天気ですね」
「こんにちは。これからどちらへ」
「姥子山まで行ってこようかと」
「いい眺めでしたよ」
 期待が膨らんだ。
 この後、同年代らしき単独男性、年配夫婦、若い男性二人組と続けざまにすれ違った。どうやら皆さん、私より一~二時間スタートが早かったようだ。

 順調に歩を進めていることは疑いもしなかった。ところが山道は徐々に踏み跡が少なくなり、しまいにはロストだと気がついた。YAMAPで調べると、大幅な方向ミスではなさそうだ。歩きやすいところを選んで藪漕ぎしていけば、正規のルートへ戻れると勝手に決めつけ、暫し下ったり上がったりの奮闘を続けた。
 ところが突如斜面がきつくなり、これ以上無理して進めば、戻れなくなる危険性があると感じ始め、やむなくUターン。なんだかんだで三十分強ほどの貴重な時間を無駄にしてしまった。
 それにしても、道を間違えた地点まで戻ってきたとき、なるほどなと思った。
 正規のルートを大きな倒木が覆い隠しているのだ。目線をその先まで飛ばせば、続く山道を確認できるが、目先の情報だけで進んでいくと、この過ちに気がつかない。

 下りの最後で林道に突き当たる。これを横断し、今度は姥子山の登りにかかる。
 頂上へと近づくにつれ、岩場が多くなり、傾斜もきつくなっていく。高度感を覚えるところもあり、ゆっくりと慎重に上がっていく。ここで踏み外したらジ・エンドだ。雁ヶ腹摺山とは隣同士になるが、趣は異なる。

 やがて空が大きく見え始め、最後の岩をよじ登ると、ついに頂上だ。岩だらけの山頂は狭いが、文句なしの絶景が待ち構えていた。富士山の美しさは無論だが、それ以上に大菩薩山稜の雄大さを肌で感じる眺めであり、これまでの十二景より標高が高いせいか、山の懐に抱かれているという感慨深さは、これまでになく大きい。
 岩と岩との間にそっと花開く“イワカガミ”を発見。体の安全ホールドを確認したのち、シャッターを切った。

 雁ヶ腹摺山の東側側斜面の上り返しはきつかった。疲労の蓄積だけではなく、昼近くになって気温が急激に上がってきたのだ。顔から汗が吹き出し始めたので、ザックからタオルを取り出し首にかけた。
 徐々に足も重くなっていき、呼吸も荒くなってきた。何度も立ち休みを繰り返し、亀の速度で登っていく。

 中盤に差し掛かったころ、上方から賑やかな声が降ってきた。何種類かの声質が飛び交っているということは複数のハイカーだろう。だんだんと距離が近づいてくると、なんと彼らが歩いてきた先は、さきほどロストした際のミスコースではないか。
「すみませ~ん。姥子山から上がってきたのですか」
 私と同じミスをした人たちから声が飛んできた。全員年配者で女性が八名いただが、声をかけてきたのは唯一の男性。
「ははは、さては道を間違えましたね」
「おっしゃる通りです」
「実はさっき、私もここで間違えました。ほら、正しい道はその倒木の向こう側です」
「おおっ、ほんとだ。これは見間違えますね」
「それじゃ、気をつけて」
「ありがとうございます」
 遭難するほどの危険はないとしても、もう少々目印のリボンを増やすなどの工夫が欲しかった。

 戻ってきた雁ヶ腹摺山の山頂で、昼食を兼ねての長めな昼食を取った。少しだが雲も出始め、富士山にはガスもかかってきたが、天候が悪化することはないだろう。
 カレーメシを平らげ、菓子パンを頬張っていると、次から次へと三名の単独男性が大峠側から上がってきた。時刻的にやや遅いとは思われるが、皆さん合わせるように、一服した後は姥子山方面へ向かっていった。
 その中の一人の方は、どう見ても私より年配者。歩みは見るからに遅く、これでは大峠へ戻るころには、日も陰り始めているのではと、他人事だが心配になる。

 素晴らしい森に出会えた、三回目の十二景。同じ富士山を眺めても、周囲の森は別世界。これも十二景の楽しみではなかろうか。


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