登山を始めてそろそろ二十年がたつが、GWに山へ入ったのは初の出来事である。
自然の懐へ分け入り、静かな時を楽しむのが山歩きの目的なので、頂上や山道にハイカーがわんさかいるであろうGWはタイミングとしてよろしくないのだ。ただ、翌日の奥多摩方面の天気予報をチェックすると、降雨率10%、最高気温22℃、風速1~2mと、これ以上ない登山日和。そんな日に、山中を想像しながら一日中自宅にいれば、間違いなくストレスが溜まるだろう。よって最近山づいていることも手伝って、「軽くいってみるか」という気持ちが急速に膨れ上がったのだ。
五月三日(水)。目指したのは“青梅丘陵ハイキングコース”。このハイキングコースという名称から、ちょっと歩くには程よい感じがしたし、そもそもこのコースは前々から視野に入っていた。
これまでに何度も歩いた馴染みの高水三山。ここへ登る際は必ず青梅丘陵ハイキングコースの道標を見ることになり、気持ちの中で漠然とした興味があったのだろう。
もちろん大まかだが下調べもした。ハイキングコースと言えども、全長9.81Km、累積標高差は上り下り共々1400mを超えるという、数値的に見れば一般的な登山コースと何ら変わらない。単に平均標高の低い山々を歩き進むというだけなのだ。全長こそ似たようなものだが、奥多摩駅から出発する著名なハイキングコース“奥多摩むかし道”とは少々様相が異なるはず。尤も、青梅線五駅分の距離を山中の道を使って走破するのだから、どう転んでも楽なはずはない。
三鷹駅六時五十九分発“特別快速ホリデー快速おくたま1号・青梅行”に乗り込む。休日のみの臨時列車は、いかにもGW真っ最中という感じがして、少しウキウキする。予測していた通り、普段の三倍越えのハイカー達が、色とりどりのザックで休日をアピールしていた。
青梅に到着すると更に休日色が拡大する。ホームは乗り換え待ちのハイカーでごった返しである。それと、ウィークデーでは大半が年配ハイカーで占めるが、GWとあって、見回すと半分以上が若い人たちだ。この光景、なんだかとても新鮮に映った。
八時二十分、軍畑駅に到着。トイレを済ませ、出発したのは三十分ジャスト。先ずは成木街道を北へと進む。
前方に九名、後ろに四名と、普段なら人子一人見当たらないのに、さすが休日である。ところが、高水三山登山口と青梅丘陵ハイキングコース入口の分岐を過ぎると、前後の人影は消え去った。思惑通りである。これで静かな山中を楽しめるというもの。
駅から約三十分で、登山口にあたる榎峠の道標が目に入る。細い山道に入ると、いきなり階段付きの急登が待っていた。十分も歩くと汗ばんできたので、上着を脱いで半袖になった。冷たい空気が上腕を包み、気持ちがいい。やはり歩き出しからハイキングコースとはやや趣が異なった。
登り始めから三十分もしないうちに、コース上の最高峰“雷電山(494m)”へ到着。静かな山歩きと思っていたら、七名ものハイカーが休憩中ではないか。その後も二名上がってきて、瞬く間に狭い頂上は混みだし始める。カロリーメイトを一本食して、早々に出発する。
雷電山は一番高い山だから、後は下る一方。大局的には間違ってないが、少々甘かった。この後、細かなアップダウンが数えきれないほど巡ってくるのだ。今日は体調が良かったので、苦にはならなかったが、山歩きに慣れてない人が、“ハイキング”を期待して訪れたなら、間違いなく堪えるだろう。
雷電山も含めて、その後に続く辛垣山、三方山等々、どの頂上も展望はない。道中随所で青梅の町並みを見下ろせるポイントが現れるので、そこで小休止を取った。
山中の湿度は低く、休憩をしていると半袖ではやや寒いと感じるほど。ただ、このくらいの空気感が山歩きには最高である。そんな条件も手伝って、ほとんど疲れを感じることなく、終始リズムに乗って山歩きが楽しめた。
後半戦に入ると道は広くなり、徐々に街に近づいていることがわかる。同時に青梅側から登ってくる人が増え、賑やかさが増してきた。それと特記すべきことは、このコースがトレランの人気練習場ではないかということだ。実際、一日を通してハイカーとほぼ同人数のトレールランナーを見かけた。大概は若い人たちだが、中には五十代後半と思しき女性もいて、びっくりするほどのスピードで坂を下っていくのだ。大切なのは日ごろの鍛錬か。
木々の間から見え隠れする景色で、そろそろゴールかなと感じた頃、下手の方から太鼓やお囃子の鳴り響く音が届くようになった。GWに合わせてお祭りが開催されているのだろう。下っていくほどに音は大きくなり、喧騒が伝わってくる。
左手に鉄道公園が見えた。あとはひたすら舗装路を青梅の駅まで歩けばいい。今回はゴールが青梅駅ということで、食料はあまり持ってこなかった。一口パンとカロリーメイトという行動食のみだ。よって腹はペコペコである。
住宅街の坂を下っていくと、正面に小さな踏切があって、渡ったその先の大通りが見える。
通りに出ると、その騒然とした状況にびっくり。このお祭り、並大抵の規模ではない。周囲に目をやると“青梅大祭”とのポスターが目に留まった。あとで調べると、コロナ禍のために四年間開催できなかった、この地区最大の祭りとのこと。人波の凄さは、初詣の浅草寺に勝るとも劣らないレベルで、飲食店を探すどころか、前に向かって歩くことさえままならない。そんな中、祭りいで立ちの色っぽいお姉さんたちの姿を眺めると、一瞬ではあるが、疲れを忘れた。
本来なら通りに出てから青梅駅まで十分もかからないところを、疲れた足を引きずりながらその倍以上の時間を要し、体クタクタ腹ペコペコは言うまでもなかったが、待ち時間なしで青梅特快東京行きへ乗り込めたのは幸いだった。
最後の最後で大どんでん返しのような羽目に陥ったが、これもまた記憶に残る一ページ。後から振り返れば、間違いなく語れる思い出になるはずだ。