若い頃・デニーズ時代 60

「あの~、、、木代さん、いらっしゃいますか」
「すみませんが、どちら様でしょう?」
「伊坂と申します」

情けないが、突然の訪問に慌ててしまった。考えてみれば最後に会ってから既に1年余りが経過している。それにしても年頃の女性の変化には目を見張る。初めて会った頃から、その均整の取れた容姿は男だけでなく、同性からの目線も引いていたが、これほど魅力的な大人の女性に変貌していたとは想像もしていなかった。
爽やかな笑顔、艶のある髪、ぴっと伸びた背筋、そして仄かに漂う香水の香り。そう、やや長めのナチュラルボブにパンツルックがよく似合う。

「元気にしてた?」
「ああ元気だよ。でも、今日はどうして?」
「近くに用事があったから、寄ろうかなって」
「そりゃ嬉しいね」
「元気そう、安心したわ」
「心配してくれるんだ」

私は呆れるほど馬鹿な男だ。こんなにいい女を1年以上もほったらかしにしていたのだから。
同期生の誰よりも早くUMに昇格、そして次には新店UMを任され、その勢いを保ちながら全店売上ベスト3に入る高田馬場店UMに任命され、、、と、
踊っていたのか踊らされていたのか、何れにしても盲目的仕事バカに変わりはない。
怱怱たる毎日に振り回され、一番大切なものへの配慮に欠き、気が付けば<時すでに遅し>ということだ。

「奥でお話したら」

よく気が付く曽我美智恵に即されて、ひとまずは4ステの一番奥まった席についた。

「ごゆっくり」

午後4時。一日の内で店が最も平穏になる時間帯である。文恵もその辺を見越して来たのだろう。
仕事中でもあるので、深い話には入れなかったが、テニスサークルを通じて複数のボーイフレンドができたこと、そして恐らく新しい彼氏だろう、その中には親しくしている人がいること等々、大まかだが彼女の現在を知ることができた。しかし、分かってくればくるほど、切なさと後悔の念が頭の中を駆け巡り、全身の力は抜ける一方である。
20分間ぐらいだろうか、腹に溜まっていたものを吐き出すように語り続けた文恵。そして吹っ切れたのであろうか、今までに見た中で最高の笑顔を残し、帰っていった。

「かわいい子じゃない、彼女?」
「違うよ」
「へ~、そうは見えなかったけど」
「ふられちゃったんだ」
「あらっ!大変!」

曽我美智恵には全てお見通しだろう。
女性はこんなシーンに敏感だし、特に彼女は強力な“”察知レーダーを持っているから大方筒抜けだ。

「あ~ぁ、さみしいなぁ~」
「私で良ければやさしくしてあげるよ♪」

冗談だろうが、彼女のこうしたリップサービスは、時として沈み込んだ気分を和らげてくれる。但、胸に空いた穴はそう簡単に埋めようもなく、風が抜けるたびにその空虚感を味わうことになり、重苦しい日々が何日も続いたのである。

そんなある日、荻下DMが来店すると、いきなり「話がある」と言われ、狭い事務所で向かい合うことになった。
いつものいやらしいニヤケ面が、なぜか今日は癇に障る。

「異動だ」

唐突な一言に、一瞬何のことか分からなかった。

「お前、UMになってから東京以外はやってないな」

なるほどね。東京の外へ飛ばそうってことかい。いつかこんな話が来るとは薄々感じていたが、実際に辞令が降りれば、色々と考えてしまうだろう。そろそろデニーズも潮時か、なんてことも高田馬場の頃からポツリポツリと出てきたし…

「どこです」
「沼津だ」
「えっ、どこですって?」
「だから静岡県の沼津だって」

こいつは驚きだ。沼津は私にとって第二の故郷と言って憚らない。大昔、親父の転勤で、小学校四年の夏休みから中学校2年の夏休みまでを過ごした思い出深き地なのだ。
少年にとって海あり山あり川ありは正にパラダイス。釣り、海水浴、山遊び、そしてサイクリングと、大自然を相手に嬉々たる日々を過ごし、その情景と高ぶりは今でもはっきりと脳裏に焼き付いている。
それに最近嵌っているバイクだって、その殆どが伊豆スカイラインや箱根峠がホームコースになっているので、帰りは決まって東名高速の沼津ICから乗ることにしている。

「そうですか沼津ですか」
「お前、なんか嬉しそうだな」
「いやいや。ところで沼津はインストアですか」
「そうだ。テコ入れってことでリニューアル対象店になっている。だからコストをかけた分、目標は高くなるから大変だぞ」

そうか沼津か。若しかするとこの異動をきっかけに、様々な出来事で疲弊しきった心をリセットできるかもしれない。思えば小学校の時もそうだった。
我儘でひねくれ者だった私は、気が付くとクラスメイトの大半を敵に回し、常に不安定な精神状態で学校生活を送っていた。他人の意見は受け入れず、誰に対しても優しくなれなかった。
そんなある日、親父が帰宅すると、「皆で沼津へ引っ越しだ!」といきなり言い放った。
もちろんびっくりはしたが、何故かほっとした気分も芽生えたことを覚えている。普通の小学生なら転校と聞いただけで落ち込むのが当たり前。恐らく不満だらけの毎日から逃避できる喜びの方が大きかったのかもしれない。
ところが沼津第二小学校での生活が始まってみると、これが摩訶不思議、びっくりするくらい素直な自分がいるではないか。新参者という立場で縮こまっていたわけではない。そんなことよりクラスメイトが皆大らかで、東京で感じた刺々しい視線が全く感じられない。そして大らかだけではなく、転校生の私に対して皆悉く親切にしてくれたのだ。
そんな優しい友達に囲まれ、気が付けば初めて他人に心を開けるようになっていた。

「いつからです」
「リニューアルの進行状況にもよるけど、一カ月以上先になると思う」

これまでに何度もあった異動。しかし今回は含意が余りにも異なる。
少年期を過ごした地で仕事ができる期待感、そして目と鼻の先にバイク天国があるという嬉しさ。
遠隔地へ赴任するというのに心が躍るなんて、こりゃ可笑しすぎる!


「若い頃・デニーズ時代 60」への2件のフィードバック

  1. はじめまして。
    1980年頃に沼津インター店で、AMをしていました。店長は、高品さんでした。
    たくさんの日記ですので、ゆっくりと拝見させていただきます。

    1. はじめまして。
      お読みいただきありがとうございます。
      高品UMですか。懐かしいですね~~
      実は私、高品UMの次に沼津インター店のUMをやりました。
      彼、元気にしてるかな~

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