若い頃・デニーズ時代 25

入社して1年が経とうとしていたが、相変わらず外食産業の活況ぶりに衰えはなく、デニーズはもとより競合他社の出店ペースもこれまでにない高水準を推移していた。この状況を維持向上させる為には、計画に則った「採用」と「教育」が必須であり、先ずは、正社員、アルバイト問わず、必要最低限の頭数を確保することが大前提となっていた。
私の同期入社は大卒80名、高卒20名の計100名。ところが新年度、つまり次年度の定期入社の予想数はその倍近くまで膨れあがっていると聞き、近々に発表されるであろう、大規模な出店計画とそれに伴う人事異動が容易に予測できた。
しかし、この流れに最も注視すべきことは、浦和太田窪店のような、新店に頻発する【劣悪な職場環境】である。
オープンから大凡一ヶ月間は本部や近隣店舗から応援が出るので、不慣れの中にも店としての体裁を守れるが、その間にアルバイトスタッフの採用と教育が滞ってしまったら、それは一大事だ。
サービスレベルの低下で客足は遠のき、スタッフ達には適正生産性以上の仕事を強いるので、いとも簡単に離職へと繋がってしまう。
特にキッチンヘルプの育成は重要なポイントだ。フロントスタッフと違って、厨房内で一端の仕事をマスターするまでには多くの時間を要するので、新店スタート時点で、モーニング~ランチ要員2名、ディナー要員で3名ほどの人員確保は不可欠だ。但、仮に確保ができたとしても、スケジュールに乗っ取ったトレーニングや、不足のないコミュニケーション等々を心掛け、皆が気持ちよく働けるキッチン作りに励まなければ、やはり離職続出の危険性が出てくる。

「木代さ~ん、マネージャーが事務所へ来てくれって言ってました」
「ほい、ありがとう」

水谷智子が寒さに顔をしかめながら、バックドアから身を乗り出している。
春まだ遠く寒さは厳しいが、スノコ磨きをしているとうっすら汗ばんでくる。

クック帽を棚に置き事務所へ出向くと、先客がいた。何と槇さんだ。
二人呼ばれて何の話しだろうか。少々緊張した。

「先ずは木代。来月から田無店でUMITだ」

きた、きた、きた、きた、ついにきたぁ===!
マネージャー昇格だ。
憧れの“赤ジャケ”を羽織れる!
こぼれる笑顔を押さえることができない。
しかも自宅から近い田無店とは、なんてラッキーなんだ。

「嬉しいです、頑張ります!」

デニーズではマネージャー職からユニフォームはブレザーとなり、UMとAMが黄色、そしてUMITは赤である。ネクタイは指定のものを使うが、シャツとズボンは自前というところが、担当職とはひと味違う大人びた感じになり、グッとくる。

「しかしさ、UMは上西さんといって怖い人だから大変かもよ~」
「当たって砕けろです」

そんなことはどうでもいい。マネージャへと昇格できるその事実だけで十二分なのだ。

「木代、やったじゃん」
「ありがとうございます。ところで槇さんは?」
「俺は“新店”だよ」
「そりゃ凄い! おめでとうございます」

槇さん、新店メンバーなんだ、、、
悔しいけど結構評価されているのだろう。

「どこですか、その新店とは?」
「碑文谷だ」

噂に出ていた都心店である。予測年商も3億を超え、千歳船橋や髙田馬場と肩を並べる店として注目を浴びている。そこへ抜擢されることは名誉であるが、人員確保とトレーニングが思うように進まなかったときは、壮絶な地獄と化すだろう。

「おおっ、やりましたね」
「まっ、やりがいはありそうだ。お前も頑張れよな」

槇さんが立川店へ赴任してきた当時、私を狙い打ちするかのような横柄な態度に我慢ができず、誰が見てもわざとらしいほどに彼を避けてきたのだが、私がマネージャー試験に合格すると、何故か手のひらを返すように、今度は槇さんが私を敬遠するようになったのだ。
しかしこれによって、互いの間に絶妙な距離感を作ることができ、若干だが連携にもスムーズさが加味されたように思う。
考えてみれば、もともとウマの合わない二人だから致し方ないが、誰であっても多くの仕事仲間と切磋琢磨すれば摩擦は起こりえるものだし、単純な好き嫌いをいちいち気にしていたら平穏な日々など訪れてくる筈もない。

キッチンへ戻ってプリパレを始めても、ニヤケが止まらない。こんな時は怪我に注意だ。マネージャー試験に合格したときも、浮かれすぎて作業に集中できず、レモンカットの際にペティーナイフの刃先で左人差し指を刺してしまったのだ。

「さっきの、聞きましたよ」

いつの間にかシンク脇に水谷智子が立っていた。

「もうエンプロイで広まってま~す」
「おいおい、早いねそれは」

悪い気はしない、今回は特に。
知っている同期生の中でも、二人、三人とUMIT昇格の情報が入っていたので、正直なところ気持ちに焦りはあった。そんなタイミングでの昇格話だから嬉しさもひとしおなのだ。

「社員の人はすぐにいなくなっちゃうんだから」

水谷智子が放ったこの一言が、今のデニーズを如実に表している。
社員は落ち着く暇もなく、次から次へと店を渡り歩かなければならない。連発する新店オープンは会社成長への布石であり、それ自体、社員であれば受け入れるべきことなのだろうが、その身を劣悪極まる労働環境へ置けば、よほどの志を持っている者でさえ何度も心が折れてしまうのだ。
如何にしてマネージャーとしてのMotivationを保ち続けるか?!
新たな挑戦が始まろうとしていた。


「若い頃・デニーズ時代 25」への1件のフィードバック

  1. UMITから赤ジャケになった時は嬉しかったですよね。
    しかし、それだけの責任感が加わりましたね。

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