エレキバンド・その12・高校進学

ファーストアルバム1970年。高校へ進学すると自分を取り巻く音楽環境は一変した。
新しくできた友達の中には、ギターを弾いたり、既にバンド活動も行なっている者が結構いて、彼らと話をするだけで多くのTipsを得られ、特にギターの演奏方法とアンプのセッティングについてはかなり参考になるものがあった。
さすが一学年だけで450名がひしめく日本大学第二高等学校(日大二高)だけのことはある。
そんな頃、毎年9月末に開催する文化祭では、ロック、フォーク合わせて4~5組のバンドがステージに立つことを知り、バンド結成はおろかマイエレキもない現実なのに、なぜか焦りに似た、地に足が付かない妙な気分に取憑かれてしまったのである。

ー 今すぐにバンドを結成しても本番まで半年もないのか…

但、日大二高は建前としての校則は厳しかったものの、キャンパスはいつも大らかで自由な気風に満ち溢れ、バンド活動へ対してもこれといった具体的な規制はなく、そんな諸々が“文化祭デビュー”を実現しようとする気持ちを大きく後押しした。

ー よっしゃ、やるか!

本格的な音楽活動を始めるには、マイエレキがなければ話にならない。
進学早々の身ではあったが、ここは一日でも早くエレキギターを手に入れたかったので、細々と溜め込んできた購入資金を懐に忍ばせ、親には内緒で週末の楽器探しをスタートさせた。

ギターの選択には悩ましい現実があった。もちろん可能であれば、ピーター・グリーンの使っているギブソン・レスポールや、ジミー・ページが格好良くかき鳴らすフェンダー・テレキャスターが欲しかったが、当時の価格で20万円、30万円もする楽器は大人にだって高嶺の花であり、況して高校生では逆立ちしたって手に入るものではない。
現実は2万円の軍資金で何とかいい一本を探すことしかない。
先ずはクラスメイトの仁藤に付き合ってもらい、秋葉原へと出掛けてみた。

当時の秋葉原は正しく電気の街で、改札を出て周囲を見渡せば、目に入るのは電気器具屋と電気部品店のみ。食べ物屋ですら見つけるのは難しい。

「目星はつけてあるの」
「大通りを渡って細い路地に入ると小さな楽器屋があるはずだ」

因みに仁藤はフォークギターを欲しがっていた。

間口が狭く、店内もやや薄暗らい古めいた楽器屋のショーウィンドウには、どの角度から見てもまんまテレキャスターという、黒いボディーにトレモロアームの付いたスタイリッシュな一台がスタンドに掛けられ飾ってあった。

「これ、いいかも」
「どう見てもテレキャスだよ」

初っ端から大物にヒットした感じである。
早速店に入って話を聞くと、ノーブランドだがつい最近発売された製品で、軽くて弾きやすく、何より本物のフェンダーそっくりなので人気が出ているとのことだった。
値段も12,000円で予算以内に収まる。まだ一軒めだったが、マイエレキを喉から手が出るほど欲しかった自分には、もはや冷静な判断はできなかった。

「これ、下さい」

衝動買いである。
ソフトケースはサービスでもらった安物だったが、それに入れた“テレキャス”を提げて秋葉原の街を歩けば、なんだかいっぱしのバンドマンになったようで楽しくてしょうがない。
当然だがこの日から新たなギターの猛練習が始まったのである。


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